
褒められるのが苦手だったけど、素直に受け入れた方が、世界は平和になる
こんにちは~!竹内です!
まだ6月だというのに一気に暑くなってきましたね~。
アナログ原稿をしているともう己のシットリ・スキンに原稿用紙が張り付くので、クーラーを付けるべきなんでしょうが、なぜか「いやまだ6月だし…今付けたら8月どうなるのよ…生き残れるのかよ…!」と、スイッチ・オンをためらってしまう…この地味で無駄な葛藤を、辞めたい。7月にも8月にも、何なら9月にもクーラー付けたらいいじゃない!快適を恐れないで!!(己を鼓舞しています)(付けました)
さて、褒められるのが苦手な話ですね。もうほんと、すみません、苦手なんです。先に謝っておきます、ごめんよ(土下座)。
あまたの友人に「謙虚を通り越して卑屈」と言わしめてきた熟練の褒められ下手・わたくしですが、褒められると素直にウレシイ!というタイプの方からすると「褒められるのは嬉しいことのはずなのに、なんでそんなに否定するの?」というのが、心底謎なんだそうですね。
私の場合、その答えは明快です。それは「マジで自分ではそんな風に思えないから」なのです。
例えば、漫画のように「かわいいね~」なんて褒めてもらっても、私は自分自身のことを「かわいい」とは1ミリも思っていないので(いや、1ミリくらいは思う…そりゃあ「オッ、今日顔面の調子いいじゃん」っていう気持ちの日もあるけど、人さまに褒めていただける程立派なものだとは微塵も思っていないのです)、「ヒエッ!?どういうこと!?いや、そ、そ、それはなくないかな~ッッ??」という困惑した気持ちで、「そんなことないYO~!!」と返してしまうわけですね。
これはもう、私の問題です。自己肯定感(この言葉、全部ここに集約させてしまいそうになるので、あんまり好きじゃないんですが…)の異様な低さゆえに、相手から貰った「素敵な気持ち」を受け取れない。
しかし、これではいかんということを、友人は私に教えてくれたわけです。大学時代の飲みの席での、確実に相手は覚えていないであろうエピソードですが、若かりし日の私の胸には突き刺さりました。今でもこうして蘇ってきます。すごいぞ友人。ありがとう!!!
そんなわけで、相手に貰った「いいね!」の気持ちはなるべく素直に受け取るように努めています。作品のこととか、自分自身が頑張った!と自認している部分だとなおさら、褒められて嬉しい気持ちも湧いてきます。(作品のご感想なんかも、非常に嬉しいです。いつもありがとうございます。)
でも正直、この「素直に受け取る」というのは簡単ではありません。なぜなら、他者からの「いい評価」をスルッと受け取るためには、私自身が考える「自分の評価」を上げていかなければならないから。
つまり、私自身が自分を「素敵!」と思えないと、どんなに他者から「素敵!」と言われても、表面的な「いいね!」は受け取れても、内心でそれを否定してしまい、居心地の悪さが消えないということです。
それで結局いつも、よいことも悪いことも、評価を他者に委ねてはいけないんだなぁという結論に達します。
「謙虚」とか「自分に厳しい」というのは確かにカッコいいことかもしれないけど、度が過ぎると確実に「生きづらさ」につながるものだと思います。自分に自信を持つことは簡単ではないけれど、この難しい世の中を生きていくために、自分くらいは自分のことを「ヨッ、私いいじゃん!超大丈夫!」と思ってやることも大切なのかも、と思ったりするわけです。
で、最後はやっぱり、自分が「いいね!」と思える自分になるというのが大切なのだなとの考えに行き着くわけです。いや~、先が長い。長いよ。
でも、自分の毎日を機嫌よくできるのは、自分だけだと思うので、少しずつ、意識を変えていけたらいいなと思っています。ヨッ、いいぞ!竹内!!
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